天才の人

コラム

黛敏郎

 

  • 黛敏郎8月、フランス政府受け入れの留学生として、音楽学校同級生の矢代秋雄、別宮貞雄と共にパリ国立高等音楽院に入学して、トニー・オーバンのクラスで学ぶが、教育内容への反発から、1年で退学し帰国した。1951年には《スフェノグラム》がISCMに入選。1953年、芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」を結成する。以後作曲家として活動をはじめる。

    デビュー当初はドビュッシーやガーシュイン、ミヨー、またガムランなどの南方音楽やモダン・ジャズの強い影響を受けていたが、留学後はミュジーク・コンクレート、電子音楽、ヴァレーズの音楽様式、ケージの偶然性の音楽やプリペアド・ピアノなど、最新の前衛音楽の様式を次々と日本に紹介する。しかしそれらの西洋前衛音楽へのアプローチは、構造的な理論よりは音響への興味を優先させた。特に電子音楽、ミュージック・コンクレートなどの分野を、当時いち早く日本の音楽界に導入している。
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